バッハとモーツァルトに笑われないように日々精進している作曲家・下山恭正のホームページ。室内楽やオーケストラ作品、歌曲など様々な分野で作曲活動しています。

オペラ 作曲家

Inside

なぜ日本語のオペラなのか?

オペラの魅力については今更私が語るまでもありません。400年以上前にバロック音楽の誕生とともに生まれたこの総合芸術は、世界中で人々を魅了し続けています。

しかし、その主なレパートリーは大多数がイタリア語で書かれ、それにドイツ語やフランス語などが続きます。つまり、我々日本人はよほど語学に堪能でない限り、字幕をたよりに鑑賞するしかないのです。

もちろん日本語で書かれたオペラも存在します。が、やはりヴェルディやプッチーニ、ロッシーニといったメジャーな作曲家の作品と比べると普及しているとは言いがたく、ましてや国外ではめったに上演されることはありません。

近年、日本人のピアニストやヴァイオリニスト、指揮者などが国際的に活動していますが、日本語のオペラがスカラ座などで上演され、ヨーロッパの人々が字幕をたよりに鑑賞する時代が来てはじめて日本のクラシックが国際的になったと言えるのではないでしょうか。

どんなに日本人の演奏家が世界で活躍しても、演奏している曲がベートーベンやショパンでは、日本のクラシックが国際的になったとは言えないと思うのです。やはり日本の作曲家の作品が国際的にならなければなりません。もちろん、武満徹のように国際的な作曲家はいますが、かれはオペラを書きませんでした。私がオペラにこだわるのは言葉があるからです。そしてそれが日本語である限り、強烈に日本のアイデンティティを示す事ができるのです。日本人のオペラ歌手が苦労してイタリア語やドイツ語の発音を勉強しなければならないように、今度は外国人のオペラ歌手が苦労して日本語の発音を学ぶ番なのです。ただし、作品に魅力がなければ外国人たちがわざわざ日本語を学んでまで歌おうとはしてくれません。だからこそ、魅力的な作品を書かなければならないのです。私の技量はまだまだですが、こうした目標を掲げて生涯を歩んで行こうと思っています。

イタリア人たちは、スカラ座で字幕なしにイタリアオペラを楽しんでいます。我々日本人にも魅力的な日本語のオペラがたくさんあれば、イタリア人たちが当然のごとく享受している特権を手にする事ができるのです。

だからこそ、日本語のオペラがたくさん書かれるべきなのです。

オペラ「風の嬉遊曲」のあらすじ

天明三年(1783年)、岡山に幸吉という腕の立つ表具職人がいた。彼には「大空を鳥のように飛びたい」という常人は夢想だにしない大きな夢があった。鳩の羽の仕組みを熱心に研究した彼は、表具師としての腕を生かして人力飛行のからくりを作り、岡山城のほとりの京橋からついに空を飛ぶ。しかし、その奇怪な行動は城下の噂となり、世を騒がせた罪で捕らえられてしまう。幕府の重役たちは幸吉を処刑しようと主張するが、岡山藩主池田治政のはからいにより、かろうじて死は免れ、ところ払いの沙汰が下る。岡山を追放された幸吉は駿河の国に入り、入れ歯職人となったが、大空への夢は捨てきれず、さらなる改良を加えたからくりを完成させる。岡山から会いにきた弟弥作が見守る中、幸吉は再び大空へ飛び立つのだった。